脳出血で突然変わった私の人生観 橋出血の後遺症と見えない苦しさ・時間の大切さ

終活

私は、自分が脳出血になるとは思っていませんでした。

年齢を重ねれば多少の不調はあるものです。けれど、「突然倒れる」という現実は、自分とは遠い話だと思っていました。難病があり、ほかにもたくさんの病気を抱えながら生きてきました。年を重ねるごとに体が思うようにならなくなってきてはいました。それでも、脳出血だけは想定していなかったのです。

脳出血で倒れた時の衝撃は大きかったです。昨日まで普通に生活していた人間が、一瞬で日常を失う。病気とは、そんな怖さを持っているのだと知りました。頭ではわかっていても、現実に自分がなると受け入れられない自分がいました。

老後についても、「そのうち考えればいい」「パートでもいいからずっと働いていたい」と思っていました。まだ元気に動ける。やりたいことはいつでもできる。そんな感覚がどこかにありました。脳出血は、その考えを一気に変えました。

血管年齢89歳という現実

倒れた当時、血管年齢は89歳でした。

血管年齢89歳の検査結果

結果を見た瞬間、言葉が出ませんでした。「自分の体は、こんな状態だったのか」。その現実を受け止めるまで時間がかかりました。見た目では分からなくても、体の中では確実に老化が進んでいたのです。

人は、健康を失って初めて気づくことがあります。普通に歩けること。普通に食べられること。普通に朝を迎えられること。何でもない日常は、決して当たり前ではありませんでした。

私の脳出血は「橋」という場所で起きた

私の脳出血は、脳の中でも「橋(きょう)」と呼ばれる部位で起きました。

脳幹の構造図・橋(きょう)の位置

橋は脳幹の一部で、呼吸・心拍・意識・飲み込む力・バランス感覚・聴覚など、生きるために欠かせない機能を担っている場所です。橋で出血が起きると、命に関わることも多く、重篤な後遺症が残るケースも少なくありません。

この部位は脳の深部にあるため、開頭手術はできません。私の場合も手術はなく、回復を待つ保存療法でした。担当医から「今の回復は奇跡だ」と言われました。その言葉の重さを、今も忘れられません。

外見からはわからない後遺症と向き合う日々

退院してからも、体の中では変化が続いていました。外から見ると、普通に歩いている。普通に話している。だから「もう大丈夫なんだね」と思われることがあります。でも実際は、そうではありませんでした。

めまいと耳鳴りが続く

橋脳出血の後遺症として、めまいと耳鳴りが残りました。急に立ち上がったとき、頭を動かしたとき、ふとした瞬間にめまいが来ます。耳鳴りは常にあり、静かな場所ほど気になります。

仕事に戻りたい気持ちは強くありました。でも、めまいがある状態で集中することは思った以上に難しく、体が思うようについてきませんでした。「元の自分に戻りたい」という焦りと、「戻れない現実」の間で何度も揺れました。

嚥下(飲み込む力)の問題

橋は飲み込む動作(嚥下)を司る部位でもあります。私も嚥下に問題が残りました。食事のたびにむせる。水を飲むにも気をつけなければならない。食べることは生きることの基本なのに、それが思うようにできない辛さは、経験した人にしかわからないと思います。外食の場でも、そんな状態は外からは見えません。

障害者ではない。でも弱者なのです

脳出血の後遺症を抱えながら、私は「障害者」という認定を受けているわけではありません。

でも、元通りに働けるかというと、そうでもない。フルタイムで仕事ができるかというと、難しい。制度の基準には届かないけれど、普通の生活にも戻れていない。この「どちらでもない状態」は、社会の中でとても生きにくい場所です。支援の対象にならない。でも、しんどい。その苦しさを、うまく言葉にできないまま過ごしている時期がありました。

障害者ではない。でも弱者なのです。

私はそう思っています。

外見からはわからない病気を抱えている人はたくさんいる

私だけではないと思います。外見からはわからないけれど、体の中で何かと戦っている人は、世の中にたくさんいます。

  • 難病を抱えながら普通に見える生活を送っている人
  • 慢性的なめまいや耳鳴りで、毎日をやり過ごしている人
  • 疲れやすい体で、元気なふりをして働いている人
  • 飲み込む力が落ちて、食事のたびに気をつかっている人
  • 見た目ではわからない痛みを抱えながら笑っている人

「元気そうに見える」と言われるたびに、複雑な気持ちになったことがあります。元気に見えることは、努力の結果であることも多いのです。外見だけで人の状態を判断しないでほしい。そして、自分自身も「見た目で元気そうだから大丈夫」と思い込まないようにしています。体の中で起きていることは、本人にしかわかりません。いや、本人ですらわからないこともあります。

私にとって海は人生を見つめ直す場所だった

私は学生時代から海が好きでした。友達と遊びに行く時も、気づけば海へ向かっていました。海を見ていると、不思議と気持ちが落ち着きます。悩みがあっても、波の音を聞いていると少し心が軽くなりました。広い海を見ていると、自分の悩みが小さく感じる時もあります。

若い頃は、ウインドサーフィンやダイビングもしていました。自然の中にいる時間が好きでした。海の風を感じながら過ごす時間には、日常では味わえない開放感があります。当時は、そんな時間がずっと続くと思っていました。けれど年齢を重ねると、体力も変わります。「今できること」が、永遠にできるわけではないと感じるようになりました。

大切な友人が癌で亡くなった時も、甥が亡くなった時も、私は海へ行きました。悲しくて、苦しくて、どう気持ちを整理していいか分からない時、海を見に行きました。海は何も答えてくれません。けれど、静かに気持ちを受け止めてくれる気がしました。

老後は「まだ先」ではないと知った

脳出血を経験してから、「老後」という言葉の意味が変わりました。以前は、老後はもっと遠い未来にあると思っていました。けれど、大きな病気をすると、時間の感じ方が一気に変わります。

「いつかやろう」。その”いつか”は、突然失われる可能性があります。だから私は、後回しにする生き方を少しずつやめるようになりました。

私は「タイムバケット」という考え方を知って、大きく共感しました。人生でやりたいことには、”できる年齢”があります。若い時だから楽しめることもあります。元気だから行ける場所もあります。お金だけでは解決できないことがあるのです。この考え方を知ってから、「今の時間」を以前より大切に考えるようになりました。

海の近くへ移住して変わった老後の時間

私は海の近くへ引っ越しました。以前なら、不安のほうが大きかったと思います。けれど今は、「残りの人生をどう過ごしたいか」を優先したくなりました。便利さだけでは、人は幸せになれません。心が落ち着く場所で過ごす時間は、想像以上に大切でした。朝、海を見るだけで気持ちが穏やかになります。そんな小さな幸せを、今は大切にしています。

健康だけを追い求める生き方にも変化があった

脳出血のあと、私は食生活をかなり見直しました。塩分にも気をつけました。体に良い物を選ぶようにもしました。「もう二度と倒れたくない」。その気持ちが強かったからです。

脳出血から今年で6年になります。最近は、以前とは少し考え方が変わってきました。もちろん健康は大切です。けれど、我慢ばかりの毎日が本当に幸せなのかと思うようになりました。好きな物を食べる時間。ゆっくりお酒を飲む時間。そんな”至福の時間”も、生きる力になる気がしています。

「長生きすること」だけを目的にした人生ではなく、「心が満たされる時間」も大切にしたいと思うようになったのです。人生は、いつ終わるか分かりません。だからこそ、自分が幸せを感じる時間を大事にしたいです。

まとめ

脳出血は、私の人生観を大きく変えました。

外見からはわからない苦しさを抱えながら、それでも今日を生きています。障害者ではないけれど弱者である自分を、少しずつ受け入れながら。

同じように「見えない苦しさ」を抱えている方に、この記事が届けばと思っています。あなただけではありません。見えないところで頑張っている人は、たくさんいます。

そして、まだ元気な方にも伝えたいことがあります。「いつかやろう」は、いつか来ないかもしれません。今の時間を、どうか大切にしてください。

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※この記事は私個人の体験・考え方をもとに書いています。医療に関する判断は必ず医師にご相談ください。