SNSやスマホの中身を「見せない」と決めた理由

終活

 知らないほうが、楽に生きられることもある

デジタル遺品の整理を考える中で
私は一つ、はっきりとした考えを持っています。

SNSやスマホ、メールの中身は、知られたくない。
それが、私の個人的な意見です。

すべてを知ることが、やさしさとは限らない

亡くなった人のことは、
「できるだけ知っていたほうがいい」
そう思われがちです。

でも私は
必ずしもそうではないと思っています。

SNSやメールの中には

  • 弱音
  • 愚痴
  • 言葉にできなかった感情
  • 誰にも見せるつもりのなかった思考

が残っています。

それは
生きていたからこそ存在していたものです。

知ったことで、後悔してほしくない

もし残された人が
私のスマホやSNSの中身を見て

「こんなことを考えていたんだ」
「こんなに苦しかったんだ」

と知ってしまったら。

その事実を
一生背負わせてしまうかもしれない。

私は
そんな後悔をしてほしくありません。

思い出は、データの中だけにあるわけではない

私という存在は

  • 一緒に過ごした時間
  • 交わした言葉
  • 笑った記憶

そうしたものの中に
すでに残っていると思っています。

スマホの中身を見なくても
思い出は消えません。

「見せない」と決めることも、終活のひとつ

デジタル遺品の整理というと
「どう残すか」ばかりが語られます。

でも私は
どう残さないかを決めること
立派な終活だと思っています。

  • 見なくていい
  • 深追いしなくていい
  • 消して構わない

その意思を残すことで
家族は迷わずに済みます。

エンディングノートに書いておきたい一文

この考えは
ぜひ言葉として残しておくことをおすすめします。

記入例

スマホ・SNS・メールの中身は、

見なくて構いません。

知らないほうが、楽に生きられることもあると思っています。

この一文があるだけで
残された人の判断は、とても楽になります。

まとめ 知らないままでいい、という選択

すべてを共有することが
必ずしも愛情ではありません。

知らないことで
守られる気持ちもあります。

私は

  • 残された人が
  • 余計な想像をせず
  • 今を生きていけること

それが
いちばんの供養だと思っています。

見せない、残さない、深追いさせない。
それもまた
やさしさの形の一つです。

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