ゴミ拾いのきっかけ
私のゴミ拾いのきっかけはX(旧twitter)です。
私は脳出血(橋)で入院しました。そして退院してからはリハビリとして毎日近くの公園で歩く練習をはじめました。
2月の寒い時期だったため昼食後に雨の日以外は毎日歩行練習として公園に歩いて行ってました。
ウオーキングを始めた頃は公園に行き着くまでも大変でした。平均感覚が悪く下肢筋力が低下してるため公園に着いた時は疲れてました。
公園に着くとまずはベンチに座り持参したマイボトルの温かい飲み物と少しのお菓子を味わいながらX(旧twitter)を見たりyoutubuで音楽を聞きいて楽しんでました。そんな時でも”脳出血の再発や後遺症の事は常に考えていました。
そんな時にゴミ拾いのポストが目にとまりました。なんでゴミ拾いをしてわざわざポストするのか不思議でした。しかもこんなにもポイ捨てが多い事にも驚きました。そんな感じでポストを見てるだけでした。そしてウオーキングしながら”障害が残れば「障害者」健常に戻れば「健常者」今の私はどちらでもない。”そんなことを考えならウオーキングをする毎日でした。ウオーキングも公園を1周するのがやっとでしたが日が経つにつれ公園内を1週から2週と段々歩けるようになりました。ある日おにぎりを持参してベンチで食べながら景色や空を眺めていると心が癒されている自分に気づきました。時期は冬から春。木々が芽吹き、土からは芽が。命の息吹を感じる事ができました。そんな時X(旧twitter)から「福拾い」と言ってゴミ拾いをしているポストを発見し素敵な言葉だなと感心しました。その頃になると公園の周りから近くのコンビニへと歩く範囲が広がっていきました。
街中を歩いているとポイ捨ての多い事に気づきました。どうせ歩くならゴミ拾いをしながら歩るこうと思い付きました。これが私のゴミ拾いのキッカっかけです。リハビリを兼ねたゴミ拾いの始まりです。
「福拾い」という魔法の言葉
ゴミ拾いをしてるだけなのに「楽しい・癒される・色々な発見」がありました。
これが「福拾い」と実感し、いろいろな事に感謝できる事ができたから私は3年間ゴミ拾いを継続できたのかと思う。
リハビリを兼ねたウオーキングとゴミ拾いを始めたころ、ゴミ拾いの成果をポストするとX(旧twitter)での反応がありました。今までは一部の方のみ「いいね返し」やコメントのやり取りを楽しんでましたが全国の方々が「いいね」をしてくれるようになりX(旧twitter)で私の世界が広がり「一期一会」と言う言葉があるようにポストをするたびに楽しくなってきました。
その頃はまだ手に力が入らずトングでゴミを挟む事が難しく捨てられたタバコの吸い殻を拾うのに苦労してました。そんなことを呟くと「このようなトングがあるよと」親切に教えてくれたりアドバイスを頂きました。その時は本当に嬉しかったです。この頃の自分は言葉もつまり流涎(よだれ)もあり人と会うことや会話をすることを避けてました。X(旧twitter)で人とつながっているこの距離感と感覚がとても心地よいものでした。目的は違うがゴミ拾いをしてる方々とつながっている事に喜びを感じる日々でした。
そんなある日、沢山のタバコの吸い殻が捨ててあるのを発見。今の私ではトングで拾うには時間がかかると思い次の日に割り箸を持参し割り箸てリハビリ代わりにタバコの吸い殻を拾いました。そしてポストすると「いいアイデア」とか「ポジティブでいいね」と反応がありました。とても嬉しかったのを覚えてます。タバコの吸い殻をしゃがんで拾っている時に小さな芽を発見。寒い冬を乗り越えタバコの吸い殻が捨ててある所からひっそりと力強く芽吹く姿に感動しました。ゴミ拾いをしていなければ気づかなかった事だと思います。ゴミ拾いを継続していると新たな発見が多いい事にも気づき始めてきました。
この頃まだ私は近所の人に会うのを避けて早朝にゴミ出しをしてました。そんなある日、綺麗な朝焼けを見ました。その時に「そうだウオーキングを兼ねたゴミ拾いは早朝にしよう」と思いついたのです。それから私は素敵な朝焼けを見たくて早朝にできるだけウオーキングを兼ねたゴミ拾いをするようになりました。この頃にはX(旧twitter)でゴミ拾いをしてる方とのつながりも少しずつ増えゴミ拾いをする事が楽しくなりました。自然に癒されリハビリも楽しく続ける事ができました。ゴミ色拾いを継続する事で結果的に自分の体調も良くなってきました。本当に「ゴミ拾い=福拾い」と実感する毎日でして。
ゴミ拾いをすると何故ポジティブになれるのか
考え方がポジティブになれた要因の一つに自然に癒され幸福感を感じる事ができたことだと思います。また、ゴミ拾いをする事ができる時間ができたこと。そしてX(旧twitter)の皆様方と繋がれた事だと思います。
もし私が脳出血で倒れリハビリをする事がなかったらウオーキングを兼ねたゴミ拾いをすることもX(旧twitter)で素敵な皆様方と繋がることもなかったと思います。
人間が相手に優しくしたり思いやりのある行動をとれるのは自分が幸せと感じてなければできないことだと思います。ただ何を幸福と感じるのかは人それぞれだと思います。私は脳出血になって良かったとはまだ思えませんが脳出血になって色々と考え悩み、沢山の事に気づく事ができました。人の温かさやつながりに感謝してます。
逆に言い換えれば、幸福感に満たされたからポジティブな思考になれたのでしょう。
ゴミ拾いをしながら色々なことを考える事ができます。ひらめく事も多いです。以前早朝に瞑想を挑戦したことがありますがすぐに眠くなったり将来のことを考えて余計不安が強くなったりと自分には向いてませんでした。なので長続きしませんでした。ゴミ拾いをしていると動いているので眠くなることはありません。朝焼けや燦々とふりそそぐ朝日、草木、心地よい風や鳥の囀り、土の匂いに癒され考え方がポジティブになってきます。そして自然い感謝するようになりました。そして自然の大切さを感じ、この自然を守りたいと思うようになりました。今私ができることは何か。こんな私に何ができるのか。そんな事を考える様になりました。そうです自然に感謝。自然に恩返し。ゴミ拾いなら私にもできると。
禅寺では掃除は修行の一環として「動く禅」とも呼ばれている
余談ですが
掃除をすることで心と暮らしを清め良い習慣を身につけることができる
↓
頭を整理し心を整える(無心になりアイディアが浮かぶ、心のゆとり「功徳(くどく)」が身につく
↓
物や部屋と向き合い続けることで自分のあり方を見つめることができる
※坐禅のことを「静の禅」
作務(さむ)のことを「動の禅」と呼び共に大切にされてます
※作務(さむ):掃除の他に庭の手入れや畑の仕事などあらゆる労働を作務という
ゴミ拾いもこのような考え方に近いのではないかと感じます。
誰にでもできること。でもなかなかできない
私がゴミ拾いを継続した理由&継続したい理由
1.自然に癒されポジティブ思考になれるから
2.ゴミ拾い(環境問題)を通じてX(旧twitter)で沢山の方々とつなる事ができるから
3.ゴミ拾いを継続すことで軽度運動ができ身体的にも良い効果があるから
4.ゴミ拾いをすることでゴミについて考えることができ自分はなんと多くのゴミを生み出してしまった
のだろうと振り返り反省と物に対しての感謝の気持ちが持てるから
5.断捨離を少しずつ行う事ができるようになるから
6.断捨離をするこで「物を捨てる→罪悪感→振り返る事で反省→物に対して感謝の気持ちと手放す気持
ち→物が減る→生活しやすくなる」なるから
7.物や自然・今日生きている事に対して感謝できるようになるから
8.こんな私でもでやろうと思えばできたから
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『さくらこの呟き』
掃除もゴミ拾いも誰にでもできること。でもこの当たり前のことがなかなかできない
私が3年もゴミ拾いを継続できたのは自然に癒され感謝の気持ちを持てるようになったからだとおもいます。またゴミ拾いをすることや断捨離をすることで物に対して向き合う事ができた事も大きです。
特に断捨離の際は何でこんなに不要な物があるのだろう。何でこんな物を買ってしまったのだろうと振り返る事ができました。
時間は有限です。何のために物を買うのか。ステータスのため?ストレス発散のため?見栄のため?自分が本当に必要な物を買っていたのか?いや、買わされていたのではと考えるようになってきました。
空き缶を捨てる方→寒い中、暖かい飲み物で喉を潤し体を温めてくれたのにもう必要でなくなった物はポイっと捨ててしまう。大げさに言えば恩を仇で返すようなもの。少しでもポイ捨てがなくなる事を願っています。
感謝の気持ち
最後まで読んでいただきありがとうございました。読みやすい文章とはほど遠いですがこれからは介護のことや病気の事、ゴミ拾いのことなどいろいろとブログを通して発信できればと思います。
これからも末長くよろしくお願いします。
ブログとしてはまだまだ未熟ですが自分の子供のように無理せずマイペースでX(旧twitter)同様にこのブログを育てていく考えです。
追伸:2025.2.15 義父はコロナによる肺炎悪化。享年85歳
X(旧twitter)のフォロワーの皆様方のおかげでここまでこれました。
ありがとうございます。しばらくは多忙になるためX(旧twitter)は休ませていただきます🙇♀️